ばてんの一期一会

はじめまして滋賀県大津市の司法書士 馬殿貞爾(ばてんていじ)です。当事務所では、街の法律家として相続問題、借金問題、成年後見等、などのお客様の困った(T_T) 問題をお客様の声にじっくりと耳を傾け、お客さまにとって最適な問題解決の方法をご提案します。メールアドレス baten_sihou_jimusho@ybb.ne.jp 〒520-0056大津市末広町8-11 電話077-524-0071 FAX077-524-2963

虚心坦懐!!

去年から、司法書士と言われる職業に就いて
周囲の皆様から「先生」と呼ばれる機会が増えました。

 昔は、自分自身が、「先生」などと呼ばれる事があるなどとは、夢にも思っていなかっただけに、「先生」とはいったい誰のことなのか?実感が湧かず不思議な気持ちでいっぱいです。

研修中によく、あらゆる角度から事実を見つめ検討しなさいと言われましたが、まったくそのとおりだと実務に付いてから実感しています。

確かに司法書士は、法律の専門家として業として法的支援をおこなうことが法律で認められています、しかし所詮は、ペーパーテストで高得点が取れたに過ぎず、人間性道徳心、倫理感まで世間一般に認められたわけではありません。
それでは、なぜ世間一般の方々から「先生」とよばれるのでしょうか?

それは、法律の専門家として、報酬を頂いて依頼者の為に仕事をさせて頂く事ができ、その仕事が依頼者の為に役立つからこそ「先生」と呼ばれるのではないでしょうか?

最近は、様々な年代の司法書士の先生や他の士業の先生、依頼者の方々などいろんな方々とお会いする機会が増えたのですが、そんななかで自分自身に対して「本当にこれでいいのか?」といつも心に問いかけるようにしています。
確かに、世間一般からみて法律の専門家が処理した事件に対する報酬は高額なものがあることは否定できません。しかし法律事件の処理に当たっては高度な法的知識や世間一般の注意義務を越える高度な注意義務(善管注意義務)が必要とされます。そしてその結果として依頼者のより多くの満足が得られるようになります。
そのためにかかるコストは相当な労力と金額が必要となります。したがって相当な範囲での報酬は必要不可欠であると考えます。

 ところが、悲しい事に法律の専門家の中でも依頼者の利益を優先するよりも、自分の事務所の利益を優先したり、依頼者に対して自分が「先生」だから言うことをきけ!というような態度で依頼者に対して接する「先生」方がいらっしゃるというお話をよく耳にします。

ある、法律事務所に、借金の相談に行った依頼者が数百万円の借金について相談したところ
「先生」から「わかりました、もう借金の事は忘れてもらってけっこうです。明日からは一切借金の取り立てはありませんし、当事務所が全て責任を持ちますので事務所に来ていただく必要もありません」と言われて委任状に署名捺印させられたそうです。
不審に思った相談者が、他の法律事務所に相談した所、実は過払い金が数百万円発生している事例で、実際に計算してみると通常の法律家への報酬を差し引いても100万円以上の金額が依頼者に返還されるべき事例だったのです。
また、法律事務所へ借金の問題で相談に行ったのに、過去の生活態度や失敗について説教されるだけで高額な相談料を請求され、法的解決策は何も提示されずに法テラス等の公的機関へ相談するように指示された事例もあります。

先日、障害者擁護施設の経営をされている方の講演で、
「なんの為に障害者の介護をするのか?」という問いかけに対して、
その経営者はこう答えられました
「今、生かされている自分が健康で人の為に役立つ事ができる。それを仕事として出来る事が自分の幸福に繋がっているからです。」

法律の専門家は、依頼者の為に仕事をさせて頂くのであって、法律専門家の為に仕事をするのではありません。
私も、常に気をつけていなければ「先生」の視点からだけで、依頼者の方の事を見てしまうかもしれません。しかしそれでは、依頼者にとっての本当の満足だけでなく、自らの満足も得られないのではないでしょうか?

どうしても、業として職務をおこなう程、職業的基準の価値判断が絶対であると思い込みがちです。しかし、人には十人十色の考え方や価値観が存在します。 それを「先生」だからといって独りよがりな考え方をしたり、自らの利益の為にだけ事件処理をしたりしてはなりません。
 今後も、法的支援を業としておこなっていく以上は、常に「虚心坦懐」にして自らの業を成すべく精進していきたいと思います。

ちょっち、マジメに語ってしまいました。。。